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京都地方裁判所 昭和42年(わ)833号・昭42年(わ)1172号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕(被告人は)第二、京都市中京区河原町通蛸薬師上る一筋目東入る北車屋町新富士会館内洋酒喫茶店「ヤング」こと垂井省三郎方の従業員として稼働していた昭和四二年八月五日午前二時ごろ、前記北車屋町の路上において、同じく右垂井省三郎方の従業員である前川悟郎および春名純の両名が同所を通りかかつた中島連合会太田会々員原田司郎(当時二〇年)、同近藤康夫、同山口勝太郎の三名から面を切つたなどと因縁をつけられ同人らと口論をするうち双方入り乱れての乱斗となつた際、自分がその場に転倒するなどしたため自己側の形勢不利と察した前川悟郎より「道具を持つてこい」と言われて前記新富士会館入口附近に走り寄つたところ、同所に駐車中の単車の荷台上に前川悟郎が予め持つてきていた刃体の長さ約二一センチメートルの刺身庖丁一丁がおいてあつたので、これを携えて右乱斗の現場に引きかえしたが、同所において右原田司郎ならびに近藤康夫から腰附近に組みつかれたりしたため、これを振りほどくべく、自己の身体をまず右に、次いで左に、いずれも力一杯振つたが、その際、右手に持つていた前記刺身庖丁を左上方に突き上げたため、前記の如く被告人の腰部に組みついていた右原田司郎の左胸部に右庖丁を突き刺し、よつて同人の左胸部に深さ約一八センチメートルに達する刺創一個を与え、同人をして同日午前二時一五分ごろ、同市同区御池通高倉西入る高宮町二〇〇番地京都第二赤十字病院救急分院において、右刺創に基づく失血のため死亡するに至らしめ<中略>

(殺人罪の訴因に対し、殺意を否定して傷害致死罪を認定した理由)

本件は、喧嘩闘争の際に凶器を用いて行なわれた犯行であり、しかもその使用された凶器の種類、形状が判示の如く鋭利な刺身庖丁であること、そのうえ、傷害の部位が左胸部でありその程度も判示の如く創管の深さが一八センチメートルにも達するという極めて重大なものであることなどの点を重視するにおいては、被告人には少なくとも未必的な殺意はあつたのではないかと思われないこともない。

しかしながら、前掲各証拠によれば、被告人の本件庖丁の使用状況としては、相手方たる原田司郎からその腰部附近に組みつかれた体位のもとで、これを振りほどくべく、自己の体を右に、左にと力一杯振つたところが、その体勢の変化に応じて右手に持つた庖丁をも左上方に突き上げる結果となり、そのため予期に反して同人の左胸部を突き刺すに至つたものであると認められ、当裁判所が措信する本件全証拠によるも、被告人において積極的に被害者の胸部を攻撃することを意欲し、特にその部分をねらつて本件庖丁を突き刺したというまでの事実は未だ認定しえないのである(当裁判所は安川慧一、南与志友、姜富次の検察官に対する各供述調書中、右認定事実に反する部分は措信しない)。次に、結果として生じた本件刺創の程度が創管の深さ一八センチメートルにも達しているという点についても、前記認定の如く、当時被告人は力一杯自己の体を左右に振つていることが認められるのであり、他方被告人に組みついていた被害者原田司郎としても、このような被告人の行動を制止すべき方向に力を加えその体勢を動かしていたというのが、その当時の状況ではないかと推認しえられるのであるから、被害者原田司郎の判示刺創がこのような両者の動きのぶつかりあつたところに生じたものであつてみれば、その当時両者の力が相乗的に作用した結果、その程度が判示の如き程度にまで達したのではないかと推測されるのであり、果してそうであるとすれば、このような特段の事情が認められる本件事案の場合においては、その創傷の程度を以て直ちに被告人に殺意があつたことの根拠とするには未だ合理的な疑いが残るものといわねばならない。

また、本件の喧嘩闘争自体が偶発的なものであるところ、被告人としては、自らが直接相手方と喧嘩を始めたわけでなく、ただ前川悟郎ないし春名純が自分と同じ垂井省三郎方の従業員であるところから、同人らに加勢すべく衝動的に本件乱斗に加わつたにすぎず、しかもその喧嘩闘争のそもそもの原因が何であつたかの点もはつきりと認識していたわけでもなく、原田司郎など相手方の人物ともそれまでには一面識もなく、したがつて本件喧嘩闘争以外にはもとより何らの遺恨もなかつた間柄であつたことが明らかであるから、このような被告人には未だ相手方たる原田司郎を殺害までしなければならないような動機をみい出すことはできないというべきである。

さらに、被告人が被害者の身体に向けて本件庖丁を使用した回数についてみるに、被害者原田司郎が判示の刺創以外に右耳後部に刃物によるものと認められる長さ3.5センチメートルの線状の傷をも負つている点ならびに「私が現場で前川の応援をしようとしているとき、原田が長さ1.7メートルの角棒一本を右手につかんで振り上げ私の方へ殴りかかつてきたので、私はこれを制止するため、原田が私に約一メートル位にせまつたとき庖丁を振り上げ、左上から右下に向けて一回切りつけてやつた。この時の感じでは原田の右肩附近に当たつたように思つたが、実際に当つたかどうかはわからない」旨の被告人の供述などから推して、被告人が原田司郎の身体に向けて本件庖丁を使用した回数は少なくとも二回以上ではないかと認められる。しかしながら、そのうち一回は判示の如き状況下に使用したものであり、他の一回についてもその被害者の受傷の部位程度ならびに被告人の右供述からしても、被告人において殺意を抱いていることを推認せしめるが如き方法で使用したものであるとは認められない。いずれにしても、本件は被告人においてその回数を問わず庖丁を使用し被害者の身体をめつた突きにするというが如き攻撃の執拗さが認められる事案ではない。このことはまた、証拠上、被告人において本件喧嘩闘争の際に殺意を推認せしめるような言葉を被害者原田司郎その他相手方に対して発したことは一度もなかつたと認められることからも十分に裏付けられるところである。

このほか、犯行直後における被告人の言動をみるに、被告人は垂井省三郎や前川悟郎らに対して「相手方を刺したのは多分自分と思うが、それもはつきりはしない。もとよりどの部分を刺したかは判然としない」旨述懐しているのであつてこのような被告人の態度は、むしろ、犯行当時被告人において殺意を抱いていなかつたことを推認せしめるものというべく、殺意の認定を否定する一つの契機になるものと認むべきである。

なお、被告人は、司法警察員に対する供述調書において「こういうわけで、私は原田に抱きつかれた際、これを振り離す積りでありましたが、腹附近を庖丁で刺してやろうと思つてやつたことに間違いなく、前に申しましたとおり、刃渡り三〇センチメートル位もある刺身庖丁ですから、こんな刃物で相手を刺せば、その刺した場所によつては当然相手が死ぬかも知れないことはよくわかつておりましたが、この時私がぢつとしていたら原田や近藤からやつつけられることは間違いなく、原田が私の腰に抱きついてきた時点で早くこの危険を避けなければならないと考え、刺してたとえ相手が死んでもかまわないと思つて力一杯右手の庖丁で原田の左腹附近を刺したのでありますが、この結果は原田の左胸附近を突き刺すことになり死亡させたもので、私としてはこの原田に対する殺人罪の責任はのがれられないと思つております」と述べ、さらに検察官に対する供述調書(検甲第四〇号証)においても、「私ははつきりと原田を刺してやろうと思つてその刺身庖丁で突き刺したのではありませんが、何しろその庖丁は刃の長さ二〇センチメートルから二五センチメートル位ある庖丁であり、また力一杯その庖丁で腹を突き刺したりすれば相手が場合によつては死ぬかもしれないとは思いましたが、たとえ相手が死ぬようなことがあつても仕方がないと思つて原田の左腹を一回刺したことにまちがいありません」と述べており、いずれも犯行当時少なくとも未必的殺意を抱いていた旨自白しているのではあるが、前述の諸事情ならびに被告人の公判段階における供述内容およびその態度などを合わせ考えると、被告人の右自白は、犯行当時における被告人の心理状態をそのまま供述したものとは到底解し難く、むしろ各取調官から、現に被害者の死亡という重大な結果が生じており、しかもそれが被告人の行為によるものであることを強調され、そのうえ本件凶器たる判示の刺身庖丁を示されたりして理詰めに追究された結果、心ならずもなした虚偽の自白ではないかとの疑いが濃厚であり、当裁判所としては右自白を信用することはできない。

以上、本件凶器使用の際における被告人の心情(動機)、凶器の種類、形状、使用状況ならびにその回数、傷害の部位、程度、犯行直後における被告人の言動、その他本件犯行についての被告人の捜査段階ならびに公判段階における供述内容ならびにその態度その他諸般の事情を綜合して判断するも、当裁判所としては被告人において殺意(未必的殺意を含む)の下に本件犯行に及んだものであるとの心証を形成することができず、したがつて本件は傷害致死罪に該当すべきものと思料する次第である。(森山淳哉 西川賢二 栗原宏武)

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